『太素』卷二・九氣
思則身心有所存,神有所止,氣留而不行,故氣結矣。
楊上善注:專思一事,則心氣駐一物。所以神務一物之中,心神引氣而聚,故結而爲病也。
『素問』舉痛論:「止」作「歸」。
謹んで按ずるに,「止」に作るを是とする。
『玉篇』に「止,駐也」という。經文に「思うときは則ち身心に存する所有り,神に止まる所有り,氣は留まりて行かず,故に氣は結ぼれるなり」とあり,楊注に「一事を專思するときは,則ち心氣は一物に駐まる。それで神が一物の中に務れば,心神は氣を引きて聚まり,故に結ぼれて病を爲すなり」と解す。
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