2024年1月4日木曜日

黄帝針経の基本としくみ(4)

  補瀉

 タイミング

 刺すべきときに刺し,抜くべきときに抜けという。つまりタイミングである。「刺の微は速遅に在り」。荻生徂徠『訳文筌蹄』に,速遅は「ヲソキハヤキノ広キ詞ナリ」とあり,「来コト速シトハ時節ノ後レヌコト」とある。

 「これを迎えこれに随い,意を以てこれを和す。」

 ここで注意すべきことのもう一つは,「迎随」でなく,おおむね「迎追」であること。いや実は文中に「迎之随之,以意和之」ともあり,また後段に「補曰随之」ともある。しかし,これらの句は小針解の対象には成っていない。あるいは編著者による念押し,補筆ではないか。用詞の違いは,筆者の違いである。

 スピード

 「徐にして疾なるときは実し 疾にして徐なるときは虚す。」

 これは針の操作のスピードの問題である。「刺の微は数(数と速は同じ)遅に在りとは,徐疾の意なり。」荻生徂徠『訳文筌蹄』に,徐疾は「ナリフリノ上」といい,「来コト疾シ歩クコト疾シトハアリキブリノ上ヘカカル」と言う。小針解は「徐ろに入れて疾く出す」,「疾く入れて徐に出す」と言う。『素問』針解篇の「徐にして疾なるときは実すとは,徐に針を出して疾くこれを按じ,疾にして徐なるときは虚すとは,疾く針を出して徐にこれを按ず」では,次の段落の意と重なるおそれが有る。

 積極的に奪うか ゆったりと待つか

 「瀉には曰くこれを迎う」,その意味は,必ず堅持して針を入れ,放縦にして針を出す。おしたりあげたりして針を抜けば,邪気は泄れるをうる。

 「補には曰くこれに随う」,その意味は,蚊や虻が止まるように,留まるがごとく還るがごとくこれを忘れるがごとく,行くがごとく悔いるがごとくにする。それでいて,針を去るとなったら絶弦のごとく,左の押手を右の刺し手に続けさせれば,その気はとどまり,外門は閉じ,中気は実する。

 ついで「必ず血を留める無かれ,急に取りてこれを誅せよ」とある。これに対して,渋江抽斎『霊枢講義』は伊沢柏軒(諱は信重,伊沢蘭軒の次男)の「この二句は補法に属さず,けだし上文,宛陳するときは則ちこれを徐くの義,上に必ず脱文有らん」を引くが,誤解であろう。瀉法に「按じて針を引くはこれを内蘊という,血は散ずるを得ず。気は出を得ざるなり」として,為すべからざることを言うように,補法にも「必ず血を留める無かれ,急に取りてこれを誅せよ」と,為すべからざることを言っている。すなわち,瀉法の失敗は内蘊して血は散ずるを得ず,気は散ずるを得ずという情況に陥らせてしまう。補法の失敗は瀉法になってしまうばかりではなく,気を致して癰瘍を為してしまうことも有る。


2 件のコメント:

  1. 『漢辞海』に類義語の項に,
    「速」は,はやいことをいう一般的な語で,
    「疾」は「速」よりもはやく,しかも動作の緊急性や敏捷さを含み……

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  2. 「遅」は,おそい,おくれる。
    「徐」は,ゆっくり歩く。

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