九針
そもそも,なぜこの九針をここに列挙する必要が有るのか分からない。L01九針十二原篇の九針はみな,針尖を病所に至らせている。「微針を以て経脈を通じる」針法を提唱する書物には相応しくないだろう。L07官針篇の「井滎分輸に取る」の方が,『針経』の編纂意図に叶っている。先にいって改めて解説する。
『針経』の用針は毫針を主とするが,L75刺節真邪篇に「癰を刺すには鈹針を用い,大を刺すには鋒針を用い,小を刺すには員利針を用い,熱を刺すには鑱針を用い,寒を刺すには毫針を用いる」といい,L22癲狂篇に「内閉じて溲を得ざれば,足少陰と太陽,および骶上を長針を以て刺す」といい,L24厥病篇に「足髀挙ぐ可からざるものは,側してこれを取るに,枢合中に在りて,員利針を以てす」というように名指しで選針することは有る。しかし少ない。『針経』は毫針の経典であるといって,あながち言い過ぎではない。
毫針と員利針
微針を以て経脈を通じる針術を発想し,そのための用具として九種の針を用意したとして,実際に上に言ったような補瀉の技法――「速刺徐抜か徐刺速抜か」が可能な針は毫針,もしくは員利針くらいのものであろう。それでは毫針と員利針の違いは何か。
毫針は法を毫毛に取り,また尖を蚊虻の喙の如くにする。『太素』の豪はヤマアラシであるから,そのトゲはかなり大きく頑丈,したがって我々の想像よりはるかに太いはずという意見が有ったが,文字にとらわれすぎていると思う。蚊虻の喙の如しとか,秋豪の楊注に「謂秋時兔新生豪毛」(秋の時の菟に新たに生じた豪毛を謂う)というのを考えるべきである。『漢辞海』にも「秋になって生え変わった細い毛」という字義を載せている。
員利針の「大如氂」について,渋江抽斎『霊枢講義』には『説文』を按じて「斄は彊曲の毛で衣に著起できるもの,氂は犛牛の尾」として,二字は同じでは無く,ここでは斄に作るのが本当ではあるが,後世通用しているから,かならずしも改めるにはおよばない,という。斄は犛に従い來(ライ・リ)の声。氂は犛に従い毛(ボウ・モウ)の声,あるいは毛に従い犛(リ)の声。彊曲(硬く巻いた毛.彊は強に通じる)で衣に著起(著は付.起は趨向補語?)できる頑丈な針という点を重視すべきかも知れない。
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