2024年4月26日金曜日

黄帝針経の基本としくみ(19)

 邪氣藏府病形第四 法時

 「黄帝問於岐伯曰」に始まる四大段落から成る。前の三段落(『太素』の邪中と色脈尺診)が概ね邪気篇であり,後の一段落が蔵府病形篇であろう。ただ,材料の由来は雑多なようで,問答の形式も不統一である。しかして蔵府病形の大段落のうち,脈に拠って五蔵の病形を問う段落に問答の辞は一つで,かなり大きな段落(『太素』の五蔵脈診)を為し,六府の病もまた一つの問答でそこそこ大きな段落(『太素』の府病合輸)を為している。

 

黄帝問於岐伯曰:邪氣之中人也柰何。

岐伯荅曰:邪氣之中人高也。

黄帝曰:高下有度乎。

岐伯曰:身半已上者,邪中之也。身半以下者,溼中之也。故曰:邪之中人也,無有恆①常。中于隂則溜于府,中于陽則溜于經。

黄帝曰:隂之與陽也,異名同類,上下相會。經絡之相貫,如環無端。邪之中人,或中于隂,或中于陽,上下左右,無有恆常,其故何也。

岐伯曰:諸陽之會,皆在于面。人之②方乗虛時,及新用力,若熱③飮食汗出腠理開,而中于邪。中于面則下陽明,中于項則下大陽,中于頰則下少陽。其中于膺背兩脇亦中其經。

黄帝曰:其中于隂柰何。

岐伯荅曰:中于隂者,常從臂胻始。夫臂與胻,其隂皮薄,其肉淖澤,故俱受于風,獨傷其隂。

黄帝曰:此故傷其藏乎。

岐伯荅曰:身之中于風也,不必動藏。故邪入于隂經,則其藏氣實,邪氣入而不能客,故還之於府。故中陽則溜于經,中隂則溜于府。

黄帝曰:邪之中人藏柰何。

岐伯曰:愁憂恐懼則傷心;形寒寒飮則傷肺,以其兩寒相感,中外皆傷,故氣逆而上行;有所墮墜,惡血留内,若有所大怒,氣上而不下,積于脇下,則傷肝;有所擊仆,若醉入房,汗出當風,則傷脾;有所用力擧重,若入房過度,汗出浴水,則傷腎。

黄帝曰:五藏之中風柰何。

岐伯曰:隂陽俱感,邪乃得往。

黄帝曰:善哉。

➀恆:『霊枢』には無い。『太素』に拠って補う。下の黄帝の発言の中にも,「無有恆常」という句が有る。②人之:『霊枢』は「中人也」に作る。『太素』に拠って改める。③熱:『霊枢』には無い。『太素』に拠って補う。

邪中

 中国医学では,気象の異常を病気の原因として重視している。広義の邪気は外界からの病因を総称し,狭義の邪気は風邪を指し,それに相対するものを湿邪とする。風邪は身体の上に中り,湿邪は身体の下に中る。陽に中れば経に留まり,陰に中れば府に留まる。

 気象の異常が人体に影響する前提として,身体虚弱であるとか運動や飲食によって汗をかき,毛穴が開くこと,つまり体表の防御にほころびが生じることが有る。その上で,顔面もしくは胸に中られた場合は身体の前面,陽明に下り,項もしくは背に中られた場合は身体の後面,太陽に下り,頬もしくは両脇に中られた場合は身体の側面,少陽に下る。いずれにせよ,これら陽に中られた場合は,体表の問題にとどまり,治療は三陽に分けられた体表を処理すればよかろう。

 陰,ここでは上下肢の内側の皮膚が薄く肉が柔らかい部位に中られた場合は,臂や脛から始まり,奥に入り込まれると蔵府を傷なう。この場合も,蔵気が充実していれば,邪気も入り込めず,府の問題にとどまる。

 問題は,蔵気が何らかの理由で傷なわれている場合で,遂に蔵の問題となり,重大な結果をもたらす。蔵気が虚してしまう理由としては,憂いによっては心が傷なわれ,怒りによっては肝が傷なわれる。まだ五蔵全部に精神的要素の影響は挙げられてない。肝にはその他に打撲によって内出血した影響の場合があり,肺は身体を冷やしたこと,脾には酔ってセックスをして汗をかいた身体で風邪に吹かれること,腎には重い物を持ち挙げたり,セックスの度が過ぎたり,汗が出て冷水を浴びることが挙げられる。脾と房事の話は,やや奇抜にも思えるが,L66百病始生にもほぼ同じことが言われている。これらはまた,本神の篇末の,五蔵の気の虚実による状況にも通じる。

色脈尺診

 風とか熱とか湿とか寒とかが,ただちに身体に悪影響を及ぼすわけではない。それらが四季本来のものであれば,万物を生育する源である。ただ,季節はずれであれば虚邪といい,四季本来のものであっても度が過ぎれば,邪として作用して正邪といわれる。虚邪が中ると,人は悪寒戦慄する。正邪が中っても,ただちに目立った変化は無いが,先ず僅かに色に現れる。

 黄帝の問いは,その色を見てその脈を按じてはその病を知り,その病を問うてはその処を知ることである。再度の問いに応じた岐伯の答えは,見て知る色と按じて得る脈は相い応じるべきだということである。問うて極めるべき病処については,ここには述べられてない。

色によって脈は定まるとはいうが,五行説による配当と,相生,相克の関係からの生死の判断に堕している。「相勝」は,他ではL06寿夭剛柔とL64陰陽二十五人に見える。「相生」は他篇には見えない。総じて「願卒聞之」には,増補の気配が有る。おそらくは,相生は常識と化した考え方,相勝が比較的新しい発想の書き足しで,危険を警告する記事なのであろう。色と脈との対応は,下段の脈と尺との対応よりも観念的だと思える。

 

 

66百病始生

08本神

愁憂恐懼

 

憂思

笑不休

 

形寒寒飲

中外皆傷

気逆而上行

重寒

鼻塞不利

少気

 

墮墜

太怒

悪血留内

気上而不下

積于脇下

 

忿怒

 

 

撃仆

酔入房

 

汗出当風

酔以入房

汗出当風

四肢不用

五蔵不安

腹脹

経溲不利

用力挙重

入房過度

 

汗出浴水

入房

汗出欲水

 

黄帝問於岐伯曰:首面與身形也,屬骨連筋,同血合於氣耳。天寒則裂地凌冰,其卒寒,或手足懈惰,然而其面不衣,何也。歧伯荅曰:十二經脈,三百六十五絡,其血氣皆上于面而走空竅。其精陽氣,上走於目而為睛;其別氣,走於耳而為聽;其宗氣,上出於鼻而為臭;其濁氣,出於胃,走脣舌而為味;其氣之津液,皆上燻于面,而皮又厚,其肉堅;故天熱甚,寒不能勝之也。

どうして顔面は裸で平気なのか

 身体は衣服をまとうのに,どうして顔面はむき出しで,平気でないまでも,まあ耐えられるのか。十二経脈の血気がみな面部に上って空竅に走るからである。そして視覚となり,聴覚となり,嗅覚となり,味覚になる。そのことが面部を観察して身体の全体的な状況を把握できるという理論の根拠である。

 

黄帝曰:邪之中人,其病形何如。

岐伯曰:虛邪之中身也,灑淅動形;正邪之中人也微,先見于色,不知于身。若有若無,若亡若存,有形無形,莫知其情。

黄帝曰:善哉。

邪気の人に中るや奈何

 九針十二原篇の「神客在門」を承けていう。神客とは,正邪共に会するなり。神は正気なり,客は邪気なり。邪気が中るのを述べる。

 風雨の邪は上から中る。面に中れば陽明に下り,項に中れば太陽に下り,頬に中れば少陽に下る。膺、背、両脇に中ったものもまたそれぞれの経に下る。清湿の邪は下から中る。必ず臂、胻の皮が薄く肉が弱いところから奥に入る。奥に入り込むといっても,蔵の気が実していれば,邪も居すわることができず,府まで押し返される。普通は陽にあたったものは経に,陰に中ったものでも府に留まる。邪が蔵を傷うのは,何らかの理由で蔵の気が弱っている場合,つまり防御が解けているときである。

 では邪が蔵にまで中るというのは,どんな場合のことか。精神状態に拠るものは,憂い恐れるときには心を傷り,大いに怒って気が晴れないとかでいると肝を傷る。肝ではほかに高いところから墜ちて打ち身になったとき。これは打ち身による血の処理に関わる。房事に関わるものとしては,酔って房事に及び風に中れば脾を傷り,房事過多のあげくに水を浴びたりすると腎を傷る。脾では撃(強くうつ)仆(たおれふす)によって傷われる。これは肌肉の処理に関わるのだろう。腎では力を用いて重いものを挙げた場合もあげる。身体が冷えているのに,さらに寒飲食すれば肺を傷る。

虚邪と正邪

 風とか熱とか湿とか寒とかが,ただちに身体に悪影響を及ぼすわけではない。それらが四季本来のものであれば,万物を生育する源である。ただ,季節はずれであれば虚邪といい,四季本来のものであっても度が過ぎれば,邪として作用して正邪といわれる。虚邪が中ると,人は悪寒戦慄する。正邪が中っても,ただちに目立った変化は無いが,先ず僅かに色に現れる。虚邪が中ったときの「」を『太素』は洫沂に作るが,「」の誤りかも知れない。灑はソソグ,洫はミゾ,ソソギダス,洒はアライキヨメル。灑、洫、洒は,そそぐの意において同じ。淅とは,氵柝と泝の形近の誤り。の別体。いずれにせよ,ここでは「洒(洫灑)泝(遡)」は悪寒の状を表現するオノマトベに過ぎないだろう。

黄帝問於岐伯曰:余聞之,見其色,知其病,命曰明;按其脉,知其病,命曰神;問其病知其處,命曰工,余願聞,見而知之,按而得之,問而極之,為之柰何。

岐伯荅曰:夫色脉與尺之相應也,如桴鼓影響之相應也,不得相失也。此亦本末根葉之出候也,故根死則葉枯矣。色脉形肉不得相失也。故知一則為工,知二則為神,知三則神且明矣。

黄帝曰:願卒聞之。

岐伯荅曰:色靑者其脉絃也,赤者其脉鉤也,黄者其脉代也,白者其脉毛,黒者其脉石。見其色而不得其脉,反得其相勝之脉則死矣;得其相生之脉,則病已矣。

色と邪と尺

 初めの黄帝が問うのは,色を見,脈を按じ,その処だったのに,歧伯の答えでは,色と脈と尺になっている。黄帝のことごとく聞かんというのに,応ずる歧伯の答えは色と脈の関係に終始して,尺は消えている。どうしたことか。

相勝と相生

 顔色が青くて脈状は弦,顔色が赤くて脈状は鈎,顔色が黄いろくて脈状は代,顔色が白くて脈状は毛,顔色が黒くて脈状は石であれば,色と脈の状態が相応しているのだから,別状無い。異なっていたらどうか。顔色と脈状が相勝の関係にあれば死ぬだろうし,相生の関係にあれば已えるだろうという。これは,症候と脈状の不一致は,普遍的に診られるということだと思われる。興味深いのは,脈証の不一致が,必ずしも危険な状態では無く,ときにはむしろ喜ばしいことだということである。

黄帝問於岐伯曰:五藏之所生,變化之病形何如。

岐伯荅曰:先定其五色五脉之應,其病乃可別也。

黄帝曰:色脉已定,別之柰何。

岐伯曰:調其脉之緩急、小大、滑濇,而病變定矣。

黄帝曰:調之柰何。

岐伯荅曰:脉急者,尺之皮膚亦急;脉緩者,尺之皮膚亦緩;脉小者,尺之皮膚亦減而少氣;脉大者,尺之皮膚亦賁而起;脉滑者,尺之皮膚亦滑;脉濇者,之皮膚亦濇。凡此變者,有微有甚。故善調尺者,不待於寸,善調脉者,不待於色。能參合而行之者,可以為上工,上工十全九;行二者為中工,中工十全七;行一者為下工,下工十全六。

尺の皮膚

 寸口の脈の緩急、小大、滑濇と,尺の皮膚の手触りの緩急、小大、滑濇は相応する。このことをやや拡大解釈すれば,脈診の代わりを尺膚診に置き換えることの可能性を示唆している。脈の小は,皮膚が減じて少気に。脈の大は,皮膚も賁(おおきい)にして起きる(始まりおこる)。

 日本の古典派針灸師の多くは,『難経』に拠って,「独り寸口を取りて,以て五蔵六府の死生と吉凶の法を決する」を信奉しているようだが,尺膚診で代用できないでも無さそうである。

黄帝曰:請問脉之緩急、小大、滑濇之病形何如。

岐伯曰:臣請言五藏之病變也。

心脉急甚者為瘈瘲微急為心痛引背食不下緩甚為狂笑微緩為伏梁在心下上下行時唾血大甚為喉吤微大為心痹引背善涙出小甚為善噦微小為消癉滑甚為善渴微滑為心疝引臍小腹鳴濇甚為瘖微濇為血溢維厥耳鳴顚疾

肺脉急甚為癲疾微急為肺寒熱怠惰欬唾血引腰背胸若鼻息肉不通緩甚為多汗微緩為痿瘻偏風頭以下汗出不可止大甚為脛腫微大為肺痹引胸背起惡日光小甚為泄微小為消癉滑甚為息賁上氣微滑為上下出血濇甚為嘔血微濇為鼠瘻在頸支腋之閒下不勝其上其應善痠矣

肝脉急甚者為惡言微急為肥氣在脇下若覆杯緩甚為善嘔微緩為水瘕痹也大甚為内癕善嘔衄微大為肝痹隂縮欬引小腹小甚為多飮微小為消癉滑甚為微滑為遺溺濇甚為溢飮微濇為瘈攣筋痹

脾脉急甚為瘈瘲微急為膈中食飮入而還出後沃沫緩甚為痿厥微緩為風痿四肢不用心慧然若無病大甚為擊仆微大為疝氣腹裏大膿血在腸胃之外小甚為寒熱微小為消癉滑甚為㿉癃微滑為蟲毒蛕蝎腹熱濇甚為腸㿉微濇為内㿉多下膿血

腎脉急甚為骨癲微急為沈厥奔豚足不收不得前後緩甚為折脊微緩為洞洞者食不化下嗌還出大甚為隂痿微大為石水起臍已下至小腹腄腄上至胃脘死不治小甚為洞泄微小為消癉滑甚為癃㿉微滑為骨痿坐不能起起則目無所見濇甚為大癰微濇為不月沈痔

黄帝曰病之六變者刺之柰何

岐伯荅曰諸急者多寒緩者多熱大者多氣少血小者血氣皆少滑者陽氣盛微有熱濇者多血少氣微有寒是故刺急者深内而久留之刺緩者淺内而疾發針以去其熱刺大者微寫其氣無出其血刺滑者疾發針而淺内之以寫其陽氣而去其熱刺濇者必中其脉隨其逆順而久留之必先按而循之已發針疾按其痏無令其血出以和其脉諸小者隂陽形氣俱不足勿取以針而調以甘藥也

五蔵の病形

 

 

 

瘈瘲

悪言

瘈瘲

骨癲

多寒

 

心痛

寒熱

肥気 

膈中

奔豚

 

狂笑

多汗

善嘔

痿厥

折脊

多熱

 

伏梁

痿瘻偏風

水瘕痺

風痿

 

喉吤

脛腫

内癕

撃仆

陰痿

多気少血

 

心痺

肺痺

肝痺

痞気 

石水

 

善噦

多飲

寒熱

血気皆少

 

 

 

消癉

 

 

 

善渇

息賁

㿉疝

㿉癃

陽気盛

 

心疝

出血

遺溺

虫毒

骨痿

微有熱

腸㿉

大癰

多気少血

 

血溢

鼠瘻

瘈攣筋痺

内㿉

不月沈痔

微有寒

 心と脾の急甚に瘈瘲。心の微急に伏梁,肺の滑甚に息賁,肝と腎の微急に肥気と賁豚,脾の微大に痞気(底本では疝気だが,多紀元簡の説に従って改める)で,五蔵の積。心と肺と肝の微大でそれぞれの痺。肝の滑甚で㿉疝,脾の滑甚で㿉癃,腎の滑甚で癃㿉,脾の濇甚で腸㿉,脾の微濇で内㿉。㿉は『新字源』にタイ,陰部の病気。特に,ヘルニア。『太素』は㿉をおおむね頽に作る。『小字源』では頽の本字は,意符禿と音符貴とからなる。頁は誤り伝わった形。おそらく頽もまた㿉と通じるのだろう。潰はカイで別字。肝の滑腎に㿉疝,疝は下腹部やこしなどが引きつっていたむ病気。

 脈の緩急、小大、滑濇を診て,五蔵の病形を知る。緩、急は弛緩と緊急で熱と寒を診る。小と大では血気の皆少と多気少血を診る。小も大も血は少なく,大小は気の多少の違いであって,単純に反対語ではない。滑では陽気が盛んで微しく熱が有るのを診,濇では多血少気で微しく寒が有るのを診る。滑は過度に活動的で,濇は渋滞。他の脈学書の多くと,祖脈の構成が異なる。

緩急、小大、滑濇のそれぞれに甚と微が有る理由はよく分からない。微の場合の方が,より深刻な情況のような印象なのが,なお分からない。

寒熱でいえば,緩(多熱) (微有熱)(微有寒) (多寒)

緩を刺すには,浅く入れて疾く針を抜いて,その熱を去る。滑を刺すには,浅く入れて疾く針を抜いて,もって陽気を瀉して熱を去る。濇を刺すには,必ず脈に中て,その逆順に随って久しく留め,必ず先ず捫してこれに循い,もって針を抜き,疾く痏を按じ,出血させない(血は荷物,荷物が多くて貨車がすくないとき,多くても荷物を安易に捨てたりしない?)ようにして,その脈を和す。急を刺すには,深く入れて久しくこれを留める。

 (多気)(陽気盛) ←→ (少気)(少気)

  (少血)          (多血) (少血)

大を刺すには,わずかにその気を瀉して,その血を出さない。小は,血気のいずれもが少ないのあるから,そもそも針術の適応ではない。甘薬を処方すべきである。

そもそも脈診の部位はどこか。九針十二原篇にいうように,原穴が絶対的な診断点であるとすれば,ここでも原穴に触れるのが当たり前である。しかし,現実にはそれぞれの原穴で,これほどの脈状の差を診ることは困難であろう。

それでは,動じて休まない手の太陰の寸口ではどうか。皮膚から骨髓までの浮沈に五蔵を配当する。そんなに細かく診ることが可能かという声も聞こえてきそうだが,浮中沈に三蔵を配して,それぞれの中間にさらに一蔵ずつを配する,という程度に考えれば,まあ可能な努力目標かも知れない。また,人迎脈口診では,五蔵の奈何は脈口で診ることになっている。

ここの脈診の祖脈に浮沈が無いのも,そのような推測を後押しする。ひょっとすると,前段に「脈急なれば,尺の皮膚もまた急」などというのが関わっているのではないか。つまり,この段の祖脈には前の段の尺膚診の資料が応用されているからではないか。尺の皮膚の手触りをただちに浮沈に応用するのはいささか難しかろう。

黄帝曰余聞五藏六府之氣滎輸所入為合令何道從入入安連過願聞其故

岐伯荅曰此陽脉之別入于内屬於府者也

黄帝曰滎輸與合各有名乎

岐伯荅曰滎輸治外經合治内府

黄帝曰治内府柰何

岐伯曰取之於合

黄帝曰合各有名乎

岐伯荅曰胃合於三里大腸合入于巨虛上廉小腸合入于巨虛下廉三焦合入于委陽膀胱合入于委中央膽合入于陽陵泉

黄帝曰取之柰何

岐伯荅曰取之三里者低跗取之巨虛者擧足取之委陽者屈伸而索之委中者屈而取之陽陵泉者正竪膝予之齊下至委陽之陽取之取諸外經者揄申而從之

陽陵泉

陽陵泉の取り方を,どう読むべきか分からない。「正しく膝を立竪してこれに齊を与う,下は委陽の陽に至りてこれを取る」か。立も竪も,たてる。同義の字を重ねた熟語とみる。齊は,ここではヘソではなく,ヒトシイだろう。少なくとも明無名氏本『霊枢』では,ヘソは臍,ヒトシイは齊。『太素』はいずれも齊。

黄帝曰願聞六府之病

岐伯荅曰面熱者足陽明病魚絡血者手陽明病兩跗之上脉竪陷者足陽明病此胃脉也

大腸病者腸中切痛而鳴濯濯冬曰重感于寒即泄當臍而痛不能久立與胃同候取巨虛上廉

胃病者腹䐜脹胃脘當心而痛上支兩脇膈咽不通食飮不下取之三里也

小腸病者小腹痛腰脊控睪而痛時窘之後當耳前熱若寒甚若獨肩上熱甚及手小指次指之閒熱若脉陷者此其候也手太陽病也取之巨虛下廉

三焦病者腹氣滿小腹尤堅不得小便窘急溢則水留即為脹候在足太陽之外大絡大絡在太陽少陽之閒亦見于脉取委陽

膀胱病者小腹偏腫而痛以手按之即欲小便而不得肩上熱若脉陷及足小指外廉及脛踝後皆熱若脉陷取委中央

膽病者善大息口苦嘔宿汁心下澹澹恐人將捕之嗌中吤吤然數唾在足少陽之本末亦視其脉之陷下者灸之其寒熱者取陽陵泉

人の将にこれを捕らんとするが如し

胆の項にある「心下澹澹恐,如人将捕之」は,『霊枢』経脈篇では,腎足少陰の脈の是動病中に見える。馬王堆出土の陰陽十一脈で,すでにそうである。

「窘之後」は,便秘に苦しむと解せる。楊上善注にも「時急之顛大便之処也」という。しかし,『脈経』『千金』は「後」を「復」に作る。してみれば。「時窘之」の下で断句して,「復当耳前熱」と続ければ好い。「時窘之」までが小腸の症状で,「当耳前熱」以降は,手太陽の脈の候ということになる。

肩か眉か

『霊枢』では,小腸病と膀胱病に「肩上」というが,『太素』ではいずれも「眉上」(厳密には尸に目だが,台湾の教育部異体字字典には,眉の異体字として載っている)に作る。どちらが正しいのか。

黄帝曰刺之有道乎

岐伯荅曰刺此者必中氣穴無中肉節中氣穴則針染于巷中肉節即皮膚痛補寫反則病益篤中筋則筋緩邪氣不出與其眞相搏亂而不去反還内著用針不審以順為逆也

必ず気穴に中てる

針十二原篇に「針が脈に陥すれば邪気が出,脈が脈に中れば濁気が出,針することが深すぎれば邪気は反って沈み,病はひどくなる」とある。ここでは針刺の浅深ばかりでなく,気穴に中てるべきで,肉節に中てるべきではないという。


 

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